いま佳境に入っている

 

先週、ムクゲの事を親身になって考えた結果、今、本物の苗木が目の前にある。これが、雪にも夏の暑さにもまけぬ丈夫な体を持ち、いつも静かに排気ガスの二酸化炭素を吸って、酸素を排出しつづけるアオイ科のムクゲだ。ウチの植物たちの仲間入り。植木鉢を少し大型にして、根をゆったりさせてみた。しばらく植木鉢で大きくしてからどうするか考えよう。

 

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あ~、植物っていいな・・と思いながら朝から水遣りして写真を撮ったりしている、今週の私はちょっとハイテンション。そう、佳境に入っているのだ。「締切」の一言でこんなにもいつもと違う精神状態になる。暇さえあればそれをやっている。自分に「期限までにはできるはずだ」と暗示をかけているところを見ると、これはまるで試験勉強みたい。でもやっているうちに少しはのめりこんでいく・・ような気がする・・が、これは私のお気に入りでないことは確かだ・・でも、これで最後にはしたくない・・と微妙な愛着を感じながらの日々。

 

人の性質は、ふとした事に現れるように思う。たとえば雷。私がまだ小学生だった頃、雷がなると繰り広げられていた光景はこうだ。私は、稲妻がピカッと光ってから、バリバリゴロゴロ鳴り始めるまで、何秒かかるか数えて「今のは近い」とか「もう遠くなった」等と言っていた。姉は、怖いと言って、いつものたんすの影で耳を押さえて小さくなってうずくまっていた。祖母は、雨戸を全部締め切って暗くして、廊下の片隅に小さな四角いちゃぶだいを置いて、そこでお線香をたいてずっとお経をあげていた。雷が鳴ってもガラス戸をあけっぱなしにしておいた時、稲妻が神棚や仏壇のある部屋まで入ってきたのを見たことがあるような気がする。避雷針もなかったし、雷が落ちて割けた木・・など見ていたし、傘の先が光っていても落ちると言われており、雷は子ども心にも怖いものだった。姉は後で、そのことを作文に書いて学校に提出した。「妹は何を考えているのか気がしれない。」

 

だからと言ってお金の計算をしたり、段取りしたりするのが得意かというとそうではない。いつも、お茶を飲んだり食事をしたりする時、お任せで言われたとおりにお支払させてもらっている。しかし、数字を見ていたり計算したり、決まりきった事を繰り返す・・という事には思い当たるところがあって、無意味な事であるように思えるけど、これは意外に気持ちが落ち着く上に、ある境地に入るきっかけになるような気さえする。バッハのたたみかけるようなリズムが好きなのも、ピアノの練習曲が好きなのも、そんなところに通じる。考え事をしながら歩いている時でさえそうかもしれない。

 

昨夜、歩きながら思っていたんだけれど、右脳を使おうと左脳を使おうと、何かを繰り返しながら集中して入り込んでいる時は、いつもと脳波が違うんじゃないだろうか。そして、日常の些末な事を考える余裕がないということは、心が乱れないというばかりではなく、瞑想状態に近いものがあるのではないだろうか。だから、今瞑想をする時間がないとか、左脳ばかり使っているから右脳が退化するんじゃないか、等と考えなくてもいいのではないかと。

 

そんな事を考えていた一週間でした。

日常の些末な事もしてないけれどそれはいいとして・・。

 

 

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      5つのアガパンサスが開花した

 

 

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