火垂るの墓

 

最近、「火垂るの墓」を久しぶりにテレビで見た。このアニメは、かなり前に「トトロ」と続けて放映していて、続けて録画していたので、「トトロ」を楽しんだ後そのまま見ていると自動的に「火垂るの墓」を見るということになっていた。今にして思えば好きだからと言って、幼児にこのようにリアルに生と死について考えさせるアニメを、毎日のように見せていたのは、はたして良かったものかどうか・・と考えてしまうのだが、アニメを録画した夫とセリフを暗記するほど見ていた娘は、「そうでもないんじゃないかな~」等と言っている。

 

セリフを暗記しているものだから、その辺で横たわって寝ていると、「せつこ~」といわれてしまうので死んだふりをすることになるし、「きょうはなにか食べたいものがある?」と私が聞くと、「テンプラにな、おつくりにな、トコロテン。アイスクリーム。それから...またドロップ舐めたい。」と返ってくる。

 

娘は当時、サクマのドロップスのカンに水を入れて振ると、どんなにおいしい味がつくのかと試してみたが、それほど味がついていなかったのでがっかりしたとのこと。節子のドロップは、カンの中で溶けていて滋養があったのだろう。「色々な味が入っている」と喜んでいたはずだ。ハッカ味も入っていたよう。

 

この兄妹の父親は海軍の軍人だったが、父親は出征し、母親は空襲で亡くなってしまったのだった。そこで、なにかあったら、伯母の家へ寄留させてもらうことになっていたのだが、そこで母親の形見の着物を米に替えられてしまったり、「お国のために働かないごくつぶし」「節子が夜泣きをするとうるさい・・・」などと、なにかというと小言をいわれて、近所の湖のほとりにある横穴の洞窟に行ってしまうのだった。

 

ここで、何故、清太は14才とはいえ、節子を伯母に預けて働きにいかなかったのか・・と辛口の批判をしていた。実際、戦時中に14才の少年の働き口がある訳ではないかもしれないが、独立して生活しようとする姿勢だけでも持っていれば。伯母の小言が減る訳ではないだろうが、そうすれば横穴の洞窟で最低限の生活をして、節子、そして清太までも餓死するという結末の可能性は、多少すくなくなっていたのではないだろうか。

 

 

戦争が終わって、湖畔の先に、悲劇のあった洞窟が遠く見える別荘には、お金持ちと思われる姉妹が帰ってきて、笑い声をたてている。

 

そこで、流れる曲は「埴生の宿」

 

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しばらくぶりにテレビのアニメを見たのだが、最後まで見ていて何かが違う。物足りない。そうだ、エンディングが簡単なイラストと曲だけになっている。

 

 

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火垂るの墓」はこのエンディングでないと。

 

 

 

 

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