地球をめぐる事情

 

私の職場には、私とは直接関係のない東南アジア系外国人はいつも少人数いて、かといって英語が話せる訳ではない私は、彼らが勉強になるだろうと、日本語で世間話をしていたのだった。中国人とかミャンマー人など。

 

ウイグル人の彼は、国籍は中国なのだが、顔は東欧系で時々美しい奥さんと赤ちゃんが来ていた。人種としては明らかに東洋ではなく国の事情も少しは知っているので、同情しながら話を聞いていると、次第に話が熱を帯びてきた。彼らは本国との関係で、ことばにならないような苦労をしている。もう故郷には帰らないそうだ。似たような事情がチベット、四川省、パキスタン等、石の産地にもあって、その地方に思いを馳せることがある。

 

そこに去年から、イスラム系アフリカ人が数人加わった。彼らは肉を食べないので、彼らに合わせて外に出かけて宴会をすることはなくなった。その代り、彼ら手作りの持ち寄りの民族色豊かな食物で室内で宴会を行っていたのだった。「おべんとう」というジャパニーズな文化も取り入れられ、お昼のお弁当タイムが賑やかになった。イスラム教の女性は、顔と手以外は隠す風習があるのだが、スカーフをかぶっている女性が多いなか、彼女は簡単な民族衣装を着ている。それにしても、イスラムの女性の目はどうしてあんなに美しいのだろう。目以外は隠さなければならないとすると、目に美しさが表れてくるのだろうか。

 

彼らはイスラム教の礼拝を申し入れたが、それは聞き入れられなかった。イスラム教では一日5回礼拝が行われるが、そのうち2回位が職場で行うことになるのだろうか。そういう訳で、宗教色は見られない日々が続いていた。そうこうしているうちに、昨年頃からイスラム国の事件がニュースを賑わすようになってきた。善良な彼らは複雑な心境で祖国を思っているだろう。

 

一昨日は、数年ぶりに職場に戻ってきた若い日本人の女性と会った。彼女は、以前私と机を共用していた・・という事情で仲良くしていたのだが、なんとなく親しみを感じていた人だ。少し、雰囲気が変わったかもしれない・・と思って話を聞いてみると、半年間サンフランシスコに留学していたという。確か以前は、英語にコンプレックスを感じているらしく、自信のなさを漂わせていた女子だったけれど、少しスケールが大きくなったようだ。

 

職場のイスラム教徒の話をすると、アメリカでは礼拝室があって、イスラム教徒には礼拝の方角を示すシンボルのようなものが置いてあったらしい。(アメリカの職場であってもそれがすべて認められるなら、経済発展に影響するかもしれないので、必ずしもそれが良いと言えないだろうけれど・・インドであっても都市部では、もはや牛に道を譲らないのではないか)海外に行って、日本人が無宗教というと不思議がられるという話は良く聞きますが、彼女の実家は熱心な仏教の檀家だったらしく、「仏教です」と胸をはって答えたそうだ。サンフランシスコの感触としては、キリスト教徒よりイスラム教徒の方が熱心であるとのこと。日本人の宗教観はともかくとして、キリスト教も形骸化してきている・・との話はよくきくところだ。また、街にはよく知られた、フリーメーソンの「三角形にひとつ目」のシンボルが良く見られるそうだ。

 

ちなみに、ウィキペディアによると、世界の宗教の信者数は、キリスト教約20億人(33.0%)、イスラム教(イスラーム)約11億9,000万人(19.6%)、ヒンドゥー教約8億1,000万人(13.4%)、仏教約3億6,000万人(5.9%)、ユダヤ教約1,400万人(0.2%)、その他の宗教約9億1,000万人(15.0%)、無宗教約7億7,000万人(12.7%)であるとのこと。

これを見てみると、キリスト教とイスラム教の対立はバカにならないし、日本的宗教観はおそらく世界的にみて少数派であることが分かる。

 

私の別の若い友人は、エジプト人と結婚した。数年に一度、エジプトに帰る?のだが、想像を超えたカオスな状態に、無性に悲しくなって、子どもと紅海に行ってたたずんできたそうだ。彼女は言っていた。「人を見ると、地球人だと思う」と。

 

いけない、いけない。私も、休みが増えたからと言って、「いつもと違う日曜日な~の~」等と言っていられない。地球人としての、生活リズムをしっかり作り上げていかなければ・・。

 

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私の庭は毎年、白、ブルーやラベンダー、黄色の花が咲きます。これは先日花屋さんで買ってきた、鮮やかな黄色のエニシダです。見ているだけで元気になりそうです。

 

 

 

 

 

 

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