ケンタウロスの子守唄

 

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作詞   筒井康隆  

作曲   山下洋輔

歌   浅川マキ  

 

ぼうや  そんなに   泣くのなら

そんなに  ねんねが  嫌いなら

砂漠の星に  捨てましょか

砂漠の星は  赤い星

赤い  お馬が  走ってく

 

 

ぼうや  そんなに  泣くのなら

そんなに  ねんねが  嫌いなら  

夜のない星  行きましょか

夜のない星  白い星

白い  お馬が  走ってく

 

 

ぼうや  そんなに   泣かないで

そんなに  ねんねが  嫌いなら

ぼうやの星に  帰りましょ

ぼうやの星は   青い星

青い  お馬が   走ってく

 

 

 

 

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日が暮れる

 

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そういえば、息子も同じような事をしていた。

年中の時だから、これも4〜5才頃。

毎日夕方になると、火がついたように泣くのだ。

 

 

『日がくれる〜〜〜』

 

 

時には、床にひっくりかえってしばらく泣き止まない。

友だちが遊びにきていても時間がくると始まる。

友だちはうろたえて、どうしていいかわからなくなる。

 

 

私は、夕暮の団地の中を、背中に赤ん坊を背負って、涙がおさまってヒクヒクいっている息子と、うろたえる友だちの手を握って歩いていました。

 

私は、自分も泣きたいのを我慢して、

 「きょうはごめんね〜。○○は、夕方になると、悲しくなって泣くんだよ。」

 と言って、その子の家まで送っていった。

 

 

後で、どうして毎日泣くの?と聞いてみると、

 「外で遊べなくなるから。」

 本人は、あまり自覚していない。

 

その子は、もう遊びにこないかと思っていたら、翌日、元気に玄関のチャイムを鳴らして遊びに来た。

  

当時、こんな子は滅多にいないんじゃないかと思っていましたが、なんと自分がそうでした。

私が幼児の時、面倒を見てくれた叔母さんは、こんなに困っていたのだな〜

 

 

 

 

 

 

 

 

お星さまに帰りたい

 

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最近、喪服を着る機会が多かった。

幼児の頃からお世話になった親戚のおばさん何人かと、久しぶりに話をしていた。

そこで、よく言われるのが、

 

「小さい頃、よく泣いていた。

遠くからも聞こえるような、よく響く大声で。」

 

私には記憶がないので、3〜4才の頃の事だろう。

 

 

聞き流していたのだが、今回、興味深い証言を聞いた。

これは十代半ばで私の家に一緒に住んでいた叔母が、私たち兄弟の思い出をひとりひとり話してくれたのだが、私の思い出として印象に残っているのは、

 

「毎日『お星さまにかえりたい』と言って泣くので、困っておばあさんに相談したら、『そのうち治るから心配要らない』と言われた」

 

とのこと。

 

なにか、めめしく泣いてばかりいた子と言われるのは、いい気分がしないので、

「私は覚えていないけど、、」というのだが、こう何人もの人から言われると、認めない訳にはいかない。

 

私はその頃から、生きていてしっくりこないものがあったのだろうなあ。

今でこそ泣かないが、その気持ち、わかるような気がする。

 

 

かぐや姫は、月の都からお迎えが来て帰っていったのだが、わたしの田舎には、お星さまから迎えは来なかったらしい。

 

 

 

 

死を迎える人の部屋

 

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母の最後のお見舞いに行った時、数日前に知らされていた部屋に行ってみた。

そこには、母のベッドはなくて、ベッドで起き上がって、ご飯を食べている人もいた。

テレビも置いてあった。

 

 

部屋を移動したかもしれない。

探してみると、端から二番目の部屋に名前があった。

 

 

みんな・・・食事は点滴だった。

 

 

死を迎えるおじいちゃん、おばあちゃんたちの部屋の窓際に母は眠っていた。

 廊下側のおばあちゃんは、髪が少しカールして目鼻立ちがはっきりしていた。

若い頃は美人といわれただろうなあ。

 

 

ここの看護師さんは言う。

「言われた事は分かっていますから、話しかけて下さい。」

こんな状態でも、定期的に体位交換をする。

数人の看護師さんが、声かけをしながらやってくれる。

この世の執着を断つ修行所の様相を帯びた病室も、その時だけは、活気が出る。

 

 

ここの看護師さんの見立てに間違いはない・・

この世とあの世の橋渡しをする、あなたたちは、看取りの天使?

 

 

母が旅立つ最後の日、私たちは、あちらこちらから駆けつけて、母に話しかける事ができた。

 

 

 

 

母のカラクリ時計

 

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母は、大型台風が発生して、当地に向けて北上している時に亡くなった。

3個の台風のうち一つは、前代未聞のUターンをして、再び当地を目がけて北上してきた。

「きっと、ばあちゃんが呼んだんだ」と、家族で話していた。

その台風に、母の名前をつけて呼びたい。

渦の中に巻き込んで、洪水にして、全てを吹き飛ばしてしまう辺り、母の人生を象徴している。

 

 

 

その母が亡くなって8日が過ぎたけれど、実家にいても気配がない。

意外にこの世への未練は、あまりないかも。。

先の事しか見ていないかも。

 

 

 

私は母の形見に、オルゴール付きのカラクリ時計をもらう事にした。

これは、父が亡くなった後一人暮らしになったとき、話し相手がいない、、と言って買ったものだ。

このカラクリ時計、オルゴールの音を聞くと実家が蘇ってくる。

振り回された思い出も蘇るが、それもいいか。。

兄が、「ばあちゃん、記念にもらってもらえて良かったね。」と言った。

 

 

 

熱中症で一人で倒れて以来、たぐいまれな生命力で生き延びたのは、子どもたちを試していたのかもしれない。

厳しい条件の中でも相手を責めないでいられるか。。相手に感謝できるか。。

母は倒れる前、子どもたちにお中元を送っていた。

人に物をあげる事も好きだった。

 

倒れる前後、次々とお礼の電話がかかってきていた。

その電話に出ないので不審に思って訪ねたら、倒れているのを発見されたのだった。

その時母は、お花畑で眠っていたらしい。。

この時、お中元を贈らなければ、母は意識が戻らなかったし、私たちは試されもしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

母の事

 

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母が、人生の終わりを迎えるための病院へ転院した。

それから4ヵ月、今日お見舞いに行こうと思っていたら、病院へ来て下さいと、向こうから電話がかかってきた。

 

 

行ってみると、母は話しかけても返事をしなくなっていた。

 

 

そうか、もう、いつも一緒にいる小鳥のピーちゃんの話も、病院の中にあるという焼肉店の話も、突然爆弾が落ちた話も聞けなくなったんだな。

 

 

それでも話しかけると、口が話したそうに動いている。

言われた事は分かるんだ。

話しかけていると、体温が戻ってきた。

それが、あなたの生命力の強さの証拠だよ。

 

 

今日の夕日は、私の母がみる最後の夕日かもしれない。

目は見えないけれど、、

 

 

あなたの近くの大勢の人たちを振りまわし、多大なる影響を与えてくれた。

ユニークな人生が終わってゆく。

 

 

今日は、UFOくもや動物の形をした雲が、たくさん、西の空から東の空へ、賑やかに流れていった。

もう帰っていいと、お迎えがきたようだ。

 

 

 

 

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