日が暮れる

 

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そういえば、息子も同じような事をしていた。

年中の時だから、これも4〜5才頃。

毎日夕方になると、火がついたように泣くのだ。

 

 

『日がくれる〜〜〜』

 

 

時には、床にひっくりかえってしばらく泣き止まない。

友だちが遊びにきていても時間がくると始まる。

友だちはうろたえて、どうしていいかわからなくなる。

 

 

私は、夕暮の団地の中を、背中に赤ん坊を背負って、涙がおさまってヒクヒクいっている息子と、うろたえる友だちの手を握って歩いていました。

 

私は、自分も泣きたいのを我慢して、

 「きょうはごめんね〜。○○は、夕方になると、悲しくなって泣くんだよ。」

 と言って、その子の家まで送っていった。

 

 

後で、どうして毎日泣くの?と聞いてみると、

 「外で遊べなくなるから。」

 本人は、あまり自覚していない。

 

その子は、もう遊びにこないかと思っていたら、翌日、元気に玄関のチャイムを鳴らして遊びに来た。

  

当時、こんな子は滅多にいないんじゃないかと思っていましたが、なんと自分がそうでした。

私が幼児の時、面倒を見てくれた叔母さんは、こんなに困っていたのだな〜

 

 

 

 

 

 

 

 

お星さまに帰りたい

 

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最近、喪服を着る機会が多かった。

幼児の頃からお世話になった親戚のおばさん何人かと、久しぶりに話をしていた。

そこで、よく言われるのが、

 

「小さい頃、よく泣いていた。

遠くからも聞こえるような、よく響く大声で。」

 

私には記憶がないので、3〜4才の頃の事だろう。

 

 

聞き流していたのだが、今回、興味深い証言を聞いた。

これは十代半ばで私の家に一緒に住んでいた叔母が、私たち兄弟の思い出をひとりひとり話してくれたのだが、私の思い出として印象に残っているのは、

 

「毎日『お星さまにかえりたい』と言って泣くので、困っておばあさんに相談したら、『そのうち治るから心配要らない』と言われた」

 

とのこと。

 

なにか、めめしく泣いてばかりいた子と言われるのは、いい気分がしないので、

「私は覚えていないけど、、」というのだが、こう何人もの人から言われると、認めない訳にはいかない。

 

私はその頃から、生きていてしっくりこないものがあったのだろうなあ。

今でこそ泣かないが、その気持ち、わかるような気がする。

 

 

かぐや姫は、月の都からお迎えが来て帰っていったのだが、わたしの田舎には、お星さまから迎えは来なかったらしい。

 

 

 

 

死を迎える人の部屋

 

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母の最後のお見舞いに行った時、数日前に知らされていた部屋に行ってみた。

そこには、母のベッドはなくて、ベッドで起き上がって、ご飯を食べている人もいた。

テレビも置いてあった。

 

 

部屋を移動したかもしれない。

探してみると、端から二番目の部屋に名前があった。

 

 

みんな・・・食事は点滴だった。

 

 

死を迎えるおじいちゃん、おばあちゃんたちの部屋の窓際に母は眠っていた。

 廊下側のおばあちゃんは、髪が少しカールして目鼻立ちがはっきりしていた。

若い頃は美人といわれただろうなあ。

 

 

ここの看護師さんは言う。

「言われた事は分かっていますから、話しかけて下さい。」

こんな状態でも、定期的に体位交換をする。

数人の看護師さんが、声かけをしながらやってくれる。

この世の執着を断つ修行所の様相を帯びた病室も、その時だけは、活気が出る。

 

 

ここの看護師さんの見立てに間違いはない・・

この世とあの世の橋渡しをする、あなたたちは、看取りの天使?

 

 

母が旅立つ最後の日、私たちは、あちらこちらから駆けつけて、母に話しかける事ができた。

 

 

 

 

母のカラクリ時計

 

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母は、大型台風が発生して、当地に向けて北上している時に亡くなった。

3個の台風のうち一つは、前代未聞のUターンをして、再び当地を目がけて北上してきた。

「きっと、ばあちゃんが呼んだんだ」と、家族で話していた。

その台風に、母の名前をつけて呼びたい。

渦の中に巻き込んで、洪水にして、全てを吹き飛ばしてしまう辺り、母の人生を象徴している。

 

 

 

その母が亡くなって8日が過ぎたけれど、実家にいても気配がない。

意外にこの世への未練は、あまりないかも。。

先の事しか見ていないかも。

 

 

 

私は母の形見に、オルゴール付きのカラクリ時計をもらう事にした。

これは、父が亡くなった後一人暮らしになったとき、話し相手がいない、、と言って買ったものだ。

このカラクリ時計、オルゴールの音を聞くと実家が蘇ってくる。

振り回された思い出も蘇るが、それもいいか。。

兄が、「ばあちゃん、記念にもらってもらえて良かったね。」と言った。

 

 

 

熱中症で一人で倒れて以来、たぐいまれな生命力で生き延びたのは、子どもたちを試していたのかもしれない。

厳しい条件の中でも相手を責めないでいられるか。。相手に感謝できるか。。

母は倒れる前、子どもたちにお中元を送っていた。

人に物をあげる事も好きだった。

 

倒れる前後、次々とお礼の電話がかかってきていた。

その電話に出ないので不審に思って訪ねたら、倒れているのを発見されたのだった。

その時母は、お花畑で眠っていたらしい。。

この時、お中元を贈らなければ、母は意識が戻らなかったし、私たちは試されもしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

母の事

 

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母が、人生の終わりを迎えるための病院へ転院した。

それから4ヵ月、今日お見舞いに行こうと思っていたら、病院へ来て下さいと、向こうから電話がかかってきた。

 

 

行ってみると、母は話しかけても返事をしなくなっていた。

 

 

そうか、もう、いつも一緒にいる小鳥のピーちゃんの話も、病院の中にあるという焼肉店の話も、突然爆弾が落ちた話も聞けなくなったんだな。

 

 

それでも話しかけると、口が話したそうに動いている。

言われた事は分かるんだ。

話しかけていると、体温が戻ってきた。

それが、あなたの生命力の強さの証拠だよ。

 

 

今日の夕日は、私の母がみる最後の夕日かもしれない。

目は見えないけれど、、

 

 

あなたの近くの大勢の人たちを振りまわし、多大なる影響を与えてくれた。

ユニークな人生が終わってゆく。

 

 

今日は、UFOくもや動物の形をした雲が、たくさん、西の空から東の空へ、賑やかに流れていった。

もう帰っていいと、お迎えがきたようだ。

 

 

 

 

再び明治神宮へ

 

ふたたび、明治神宮に来た。

今日は、先日、奈良の旅を共にした友人と一緒に。

 

天気は曇りがちだけれど陽がさしてきて、雨の明治神宮とは、また違う表情を見せている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 参道を通って、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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清正井(きよまさのいど)へ。

人通りがまばらにあるのに、林の雰囲気が変わってきている。

入口は短い行列ができていたので、後ろに並んで順番を待った。

自分の番がきて水に手を浸すと、段々澄み切った気持ちになってきた。

自分らしさを取り戻すよう。

『水』でこれほど気分が変わるとは・・

今日は敏感になっているのか、はたまたそんな日なのか・・

神聖な場所に行く前には、手水で身を清めるという意味がよく分かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 澄み切った林を歩いて、本殿についた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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こんにちは、クスの木。

今日は、広場に出ている人たちも、グループで身体を動かしたり、1人で木にもたれかかっていたり、写真を撮りあったり、それぞれ思い思いに過ごしている。

ここは、それができる所。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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木の幹に両手で触ると、凛々しくも優しい波動が伝わってくる。

木の幹は、私たちの体を支えるには充分な太さがあり、もたれかかっていると心地よい。

 

いつもと違う自分のモードになって、いつもなら、思い出してもすぐに忘れてしまうような事を話していた。

一日中ここにいて、話をしたり、本を読んだり、眠ったりしてもいいだろう。

いつか、そうしてみよう。

 

私たちは、そこで暫く、倍音でトーニングをしていた。

今日は、声質も良く声域も広い。

思いつくまま色々な高さの声を出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

木の幹にもたれかかると、枝はこんなふうに見える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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帰る時に写真を撮ると、こんな光が入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

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私たちは広場を抜けて、高いビルが建っている代々木駅へ向かった。

 

今日も来て良かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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